自己肯定感って必要?そんなことより他者肯定だ!

自己肯定感は高い方がいい!

自己肯定感が低い人は高めよう!

なぜなら自己肯定感が低い人間は仕事も恋愛もヘタクソだからだ!

 

あ、それ私のことですね。自分の欠点ばかりが気になる人。

人から嫌われることを恐れ、周りに合わせるばかりで自分がない人。

傷つけられたくないからこそ優しい人。

他人を尊重するあまり、自分を殺し過ぎて消極的な人。

その理由や原因は、家庭環境であったり、身体的特徴であったり、あるいは疾患であったり、人それぞれだと思います。

共通するのは、同じ境遇の人間でないと理解できない痛みを抱えている、ということでしょうか。

 

 

先に言いますと、自己肯定感なんてクソ喰らえです。

それは強者の理論であり、すべての人類が同じスタートラインに立っている前提での話ですね。

そりゃ高めた方がいいことに違いはありません。

だとしても、例えば何らかの疾患を持つ人間に対して「それはあなたの個性!自分を受け容れよう!自分を認めてあげよう!」と心身ともに健康な人間が言うのは単なる傲慢であり、エゴであり、マウンティング行為に他なりません。

あなたが気持ち良くなりたいだけでしょう。自己満足に利用しないで下さい。と言ってやりましょう。

この記事を読んで頂いている人、そしてこの意見に共感してくれる方の多くは、恐らく私なんかよりもっと大きな苦痛や困難を味わっていると思います。

そうでなくても、「人間は平等でない」という残酷な常識を理解するだけの視点を持っている方でしょうから、そう言い返すだけの権利はあると思いますよ。

だからこそ、そういった「恵まれている人」には解らないことを知っている。

自分の弱さを知っているからこそ、他人の弱さにも気付くことができる。

綺麗事にも説得力がある。それが魅力なんじゃないですか?

 

強い人間に惹かれるのは動物として当たり前です。

一方で、弱肉強食と一概に言えないのが人間であり、自己が弱い人間だからこそ、同じ様な弱い人間に寄り添うことができる。助け合いができる。

むしろ、寄り添うことに違和感がない。

弱い人を本当に救えるのは同じ経験をした弱い人、弱かった人です。

最初から強い人間が救えるのは表面上だけです。

何しろ私自身、弱っている誰かの救い―――救いと言うとおこがましいですが、誰かの弱った心を少しでも楽にできれば、と思って書いているのですから。

 

さて、先ほど私は自分の自己肯定感が低いと書きました。

主な要因はアレルギー性疾患からくるコンプレックスですかね。

ずばりアトピー性皮膚炎。

 

ここ最近ではアトピーに対する理解も若干ではありますが広まり、治療方法もわずかにではありますが光が見え始めている気がします。

それでも未だ不治の病であり、外見的に大きなデメリットを及ぼす病気だということは周知の事実です。

重病であれば命にも関わるし、何より対処療法しかなく、しかも決定的な治療薬がないという面倒なものです。

 

私の場合、酷い時は血液と浸出液が滲み出し、黄色いカサブタが全身にできるレベルです。

幸い入院するには至りませんが、Ige値を抑える薬と、ワセリン・ステロイドは片時も手放すことができません。

入浴時も、脱塩素しかつ低刺激なものでないとガビガビになります。

 

中学生の頃は毎日が浸出液との戦いで、当然イジメられもしました。

ぺっきー(ほっぺた汚い)と言われたりね。自分が触れたものは不潔扱いでした。

皮膚もボロボロで老け顔だし、いい笑い者でしたね。

事実、親に対して「何でこんな欠陥品に産んだんだ」と思っていました。

ま、他にも顔がデカイとか身体が太い(上から見るとほぼ正方形)とか喘息だとかADHDだとか色々あったのもありますが。

私の場合は確実に遺伝でしたからね。

叔母も弟もアトピーですし、祖父母も父も肌が弱かったので。

 

まぁこんなことを書くような性格ですから、自己肯定感なんてありません。

それを親友の一人から指摘されたことがあります。「卑屈だ」と。

ネガティブ思考、自虐ネタ、他人を笑わせるためにピエロ役を買って出るetc……

それはすべて、私が世の中を生き抜くために学んだと思い込んでいたスキルでした。

私は言いました。「持たざる者の悩みを知って欲しい」と。

その親友は男の私から見てもイケメンでしたし、学業優秀、スポーツ万能、高身長痩せ型、ホワイト企業に就職と人生順風満帆な男でした。

それに引き換え、ブラック企業に就職し、生まれてこの方彼女の一人もできたことがなく、アレルギー性疾患を抱え卑屈が染み付いた私。

それこそ、その親友こそ私のコンプレックスを刺激していたのかも知れません。

私は縋りました。「自分のいいところを教えてくれ」と。

すると返ってくるのはよくある言葉。

「優しい」だの「気遣いが凄い」だの「大人っぽい」だの。

それは自己肯定感が低い者にとっては悩みの種でしかありません。

自分の弱さ、人間としての小ささを守るがための優しさ。

本当はもっと強気に出たい。思い通りにことを運びたい。自信が欲しい。そんなの魅力でも何でもない。

もっと自分の本心を知って欲しい、認めて欲しい、褒めて欲しい。

自分を知って欲しい。

 

でも、その中に一つ、意外な言葉がありました。

それは「絶対に最初からNOと言わない」です。

他人に嫌われたくない、という一心が生み出した「まずは受け容れる」という姿勢。

心理カウンセリングでは「他者肯定感」と呼ばれるそうですね。

「自己肯定感」「自己否定感」「他者肯定感」「他者否定感」という4つの考え方は、人生の価値観において重要な構え方だそうです。

  1. ①I am OK. You are OK. (わたしも、あなたもよい)

  2. ②I am OK. You are not OK. (わたしはよいけど、あなたはダメ)

  3. ③I am not OK. You are OK. (わたしはダメで、あなたはよい)

    1. ④I am not OK. You are not OK. (わたしも、あなたもダメ) 

上に行けば行くほどベターな状態で、下に行けばいわゆる「抑うつ」に近い状態になります。

私の場合、③ですね。自己肯定感が低くても、他者を肯定するタイプ。

まず、④に当てはまる方は他者という存在を認知するところから始めましょう。

別に褒めなくてもいいです。許さなくてもいいです。「そういう人もいるんだ」と否定しないところからでいいと思います。

事実、私も人間関係で嫌いな人や苦手な人はいます。別に受け容れる必要はありません。ただ、「そう思うんならどうぞご自由に」と否定しない。肯定も否定もしない。

ただ受け流すだけでいいんです。それが自分にとっても相手にとってもベターなんですから。

 

それで、私と同じ③に当てはまる人。

他者を肯定できる人。他者を受け容れられる人。

それって自然にできることじゃないんですよね。実は。

ここ最近、ネットで暴れる人たちが多いじゃないですか。

自分が正義だと信じ込んで他者を否定する②な人たち。

自分が気持ち良くなるために他者を傷つける人たち。

 

こういう人たちは根拠なき自信に満ち溢れています。

つまりは自己肯定感ですが、では果たしてそれが世のため人のためになっていますか?

ほら、自己肯定感が他者を傷つけているじゃないですか。

だから自己肯定感が100%いいモノなワケないんですよ。

自己肯定感に全力で傾いて他者を否定するくらいなら、まだ自己否定感に傾いた方が偉いと思いませんか?

言い換えてみれば、自己肯定感は欲望であり、自己否定感は理性です。

そして、人間社会において動物の弱肉強食と異なる点、それは理性が作用していることです。

だから、自己否定感は決して悪いものではないんですよ。

そして他者肯定。

別に弱い自分を守りたいだとか嫌われたくないだとか、そんな理由付けなんでどうでもいいんですよ。

だって相手には見えないんだから。

相手にとっては理由がどうであれ「自己肯定感を高めてくれる存在」なんですよ。

世のため人のためになってるんですよ。

それってあなたの価値じゃないですか?

自己否定感が強かろうが弱かろうが、他者を肯定し受容できること。

それは価値あることです。そしてその価値を持つあなたにも価値があるんです。

自己肯定感は高める物じゃありません。お互いに高め合うものです。

「自分の力でどうにかしました!」と言える人はそもそも自己肯定感が強い人なんじゃないですかね。

 

 

で、「他者を肯定しているけど一向に認めてもらえない」という人。

私がメンタルメタメタになっている時にやることですが、いわゆるネット掲示板やまとめブログに書き込むことです。

それも、他者を肯定する内容。

話題に乗っかって周りを肯定しちゃいましょう。

何なら自分と同意見の個人ブログでもヤフコメでもニコニコニュースでもいいです。

他者を肯定しまくりましょう。流れに乗らせてもらいましょう。

そうすると、いつかは自分に同意してくれるレスが付きます。

少なくとも嫌な気持ちにはなりませんよ。

 

とまぁここまでつらつらと書いてきた駄文ですが、これが誰かの救いになれば嬉しい限りです。

ひとつよろしくお願いします。