艦隊これくしょん ―艦これについて改めて考えてみる
『艦隊これくしょん -艦これ-』(かんたいこれくしょん かんこれ)は、角川ゲームス(2015年頃まで)、「艦これ」運営鎮守府こと株式会社C2プレパラートが開発しDMM.comがブラウザゲームとして配信している日本の育成シミュレーションゲームおよび、そのメディアミックス作品群。
はじめに
私がこのゲームを始めたのは2015年の冬頃だったろうか。
気づけば5年も同じゲームをやっている。
飽きっぽい性格なのによくもまぁ続けたものだ。
艦これは、ブラウザゲームを本体としながらも様々なメディアミックスを展開し、今や二次創作界隈では東方・FGOと並ぶ巨大なコンテンツへとのし上がった。
現実でも、かつて鎮守府があった地域などでイベントを開催し、地方自治体や海上自衛隊などと協力することで今や一口に「ゲーム」では収まらなくなっていると思う。
実は私、サービス開始当初から気になってはいたのだが、当時仕事が多忙ということもあってスルーしていた。会社でパワハラ紛いなどもあってそれどころではなかった。
恐らく「艦これ」という単語に引かれこの記事をご覧になっている方であれば、私がどの程度なのか気になるとは思う。
このゲーム、PvPがないため一概にどの程度とは言い難いのだが、司令部レベルは117、一応イベントの乙であればそこまでストレスなく回れる程度の中堅だろうか。雷巡や阿武隈、大型艦を複数持ちして装備の改修に励んでいると言えば伝わりやすいかも知れない。課金額で言えば10万いかないくらいだろう。
さて、5年続けているこのゲームについてなぜ突然考えてみたかと言うと、現在開催されているイベントへのモチベーションが明らかに下がっているからだ。
実は前回のイベントあたりから、転職活動を行いつつ前職の業務も多忙だったため、しばらく艦これに触れない時期があった。
そこで初めて気付いたのが、「面倒くさい」という感情だった。
私が始めた当初はようやく連合艦隊システムや基地航空隊が実装された頃で、まだ専用wikiを元に自分で考えるだけでイベントがクリアできる程度だった。
それが今や、各掲示板や攻略サイトを巡ってテンプレをコピペしないと始まらない。
エクセルで自艦隊の所属艦を並べ、例の「お札」システム(イベントには数ステージあるのだが、あるステージに出撃させると他のステージでは使えないというクソ面倒なシステム。イージーモードでは無視できるが、それだといい装備も貰えないし限定の艦娘もドロップし難くなる)を考慮して管理しないといけない。
ある日私は思ってしまったのだ。
――これは「仕事」か?
と。
まぁその他にも色々とあるのだが、5年分あるので少し整理してみた。
なお、このゲームが巨大化するにつれて「アンチ」という存在も少なからず増えているのだが、まずはそうした視点を捨て、できるだけ客観的な視点で考えて頂けるとありがたい。
思うところ
1.説明不足
まずこのゲーム、wikiや攻略サイトなしでは到底面白くない。と言うより、まともにプレイができない。
百聞は一見に如かず、最も有名な総合wikiを見れば言いたいことが解ると思う。
どうだろうか、この情報量の多さ。
自分で調べてああでもないこうでもないと試行錯誤するのが楽しめない人は、まず向いていないと思う。
これは私の感覚だが、2015年当時はここまで情報量が多くなかった。
恐らく現在の半分にも満たないのではないだろうか。
逆に言うと、5年間の間にそれだけ様々なシステムが実装されたということだ。
サービス開始当初からプレイしている提督にとっては、順序よく学びながらプレイできていると思う。
しかし、もし私が今から艦これを始めようと思ったら、恐らく諦めるだろう。
しかもこれらの情報は、ほとんどが有志による調査によるものなのだ。
運営からの説明は基本的に説明不足で、個人で最適解を求めるのはほぼ不可能に近い。
と言うより、システムの何がどうなっているのか理解できないだろう。
ただ、ユーザー間の情報共有や自分で調べてどうこうというのは他のゲームでもよくある話ではある。
例えば私が最近はじめた「LAST ORIGIN」というゲームでも、攻略wikiは存在するし、各キャラクターの特性に応じた編成などは考えないといけない。
しかし、艦これは度重なる新システムの追加によって、さながら九龍城寨の様にそびえ立っているのである。
そして何が問題かと言うと、そういったシステムに関連する数値のほとんどはマスクデータなのだ。
何なら、通常MAPのルート構成でさえwikiを前提としたゲーム、といえば伝わるだろうか。ルート分岐は基本的に羅針盤と呼ばれるルーレットに従うことになるが、その羅針盤は艦隊の索敵値や艦種構成などなどによってある程度制御されている。
下は通常MAPの3ステージ目、序盤も序盤の攻略wikiだ。
しかし、wikiに載っている必要な艦種などはすべてマスクされている。ゲーム画面のどこにも表示されていないのだ。
要は、通常時でさえ常にwikiや攻略サイト、時には電卓とにらめっこしながらプレイしないといけない。そうしたサイトで情報を収集し、手計算か、あるいはこれまた有志によるツールによって算出する必要がある。
そうした試行錯誤もゲームの要素と言えばそうなのだが、それにしてもユーザーに頼り過ぎではないだろうか?
wikiがなければまともにプレイすらできないゲーム、それが艦これと言えよう。
2.複雑になったシステムの弊害
さて、上記で「システムが複雑になり過ぎた」と挙げた。
各システムを最初から説明すると論文になりかねないので割愛するが、私が始めた頃は今や当たり前となった先制対潜すらなかった。
今はどうだろう。個人的には連合艦隊や基地航空隊までは楽しめたが、海防艦の登場あたりから何となく面倒になっていたかも知れない。
ちなみにこれが戦闘フェーズのwikiだ。
気が遠くなる。
計算式などは結構ファジーな感じでも問題ないが、突き詰めていくと0.1に泣かされたりもする。
イベントの最高難易度である「甲勲章」を手に入れるのであれば、少なくともこれらシステムの大まかな作用をすべて頭に叩き込んでおく必要があるだろう。
(ちなみに私は連合艦隊の構成艦種は未だにwikiを見ないと思い出せない。)
しかし、こういうのが好きな人もいるだろうし、何なら「努力」で解決すれば良いというのも確かな話だ。
こうしたシステム自体を「難しい」と批判するのは少し違うと思う。
ただ私が言いたいのは、こういった多過ぎるシステムが本当に運営のやりたかった事なのか、そして本当に管理しきれているのかというところだ。
例えば、最近のイベントマップでは必ずと言っていいほど潜水マスが存在する。
確かに史実でも、大日本帝国の艦艇は米国の潜水艦に為す術なく散っていった。それの再現と言えば再現なのだろうが、恐らくそうではないだろう。
潜水マスはプレイヤーの艦隊の総合戦力を下げ、ボスマスへの到達率を下げるのに手っ取り早いのだ。
思い出して欲しい。数年前のイベントでそんなに潜水艦が跋扈していただろうか?
ここ最近のシステム改修といえば、対潜周りが多い気はしないだろうか?
一方で、自艦隊の潜水艦の出番はオリョクル消滅以降減っていないだろうか?せいぜい潜水艦デコイ程度ではないだろうか?
個人的見解ではあるが、恐らく潜水幼女の登場以降、明らかに対潜周りの調整に苦慮していると考えている。
それから最近思い起こすとすれば、各艦のオンリーワン性能の増加だ。
そもそもこの艦これというゲーム、同型艦の各戦闘項目における数値は基本的に大差がない。
改二改装の有無はあれども、代替が効くのが魅力でもあっただろう。
例えば吹雪型でも叢雲が好きならば叢雲を使えばいいし、吹雪が好きなら吹雪を使っても良い。何なら吹雪型でなくても、朝潮型でも白露型でも良いのだ。
なぜなら艦これは「これくしょん」なのだから――
と、思っていた。
それが崩れ始めたのは、やはり雷巡実装からだろうか?
元来、最適解でなくても練度や装備によって自分なりの解法を見つけるのがこのゲームの魅力であったとも思う。
実際、今でもまるゆ(=ゲーム内最弱の潜水艦)縛り等々のプレースタイルも散見されるし、それは素晴らしい努力だと思う。
しかし一方で、最近では特定艦をフラグにしたルート選択や特攻(=航空機による攻撃方法でなく、ある指定の艦娘の攻撃が乗算されるマスクデータ)、あるいは上位装備を基準にした調整が増えた。
つまり「その艦娘や装備を所持していない提督は不利で苦労する」という状況が多いのだ。
もちろん、イベントのレベルを下げれば良い話かも知れない。
しかし、イベントのレベルを下げると上位装備は貰えず、次回以降のイベントで更に苦労するというスパイラルが発生する。
コレクション性という視点から見ても、未だに過去イベントオンリーでドロップしない艦娘がちらほらといる。
また、本来避けられていた艦娘の選別とインフレが始まってしまった。
それが何を意味するかと言うと、居ても居なくてもどうでも良い艦娘が生まれつつあるのだ。
よく引き合いに出される「アズールレーン(以下アズレン)」というゲームがある。
(艦これとのいざこざについて、ここでの言及は避けるが。)
艦隊これくしょんと同様に、戦闘艦をモチーフとしたキャラクターで戦うソーシャルゲームである。
このゲームでは各キャラクターの性能がかなり異なっており、いわゆる「人権艦(=弱いキャラクターに人権はない、というスラング)」が存在する。
そのキャラを持っていないと何も始まらない、という状況があるのだ。
これまで艦これは、そのアズレンと比較する際、そうしたキャラクターの偏りが少ないと言われて来た。
しかし最近はどうだろうか。
5スロット実装といい、先制雷撃といい、だいぶ偏りが生じていないだろうか?
ネルソン(特別な攻撃システムを持つ艦娘)がいないと話にならない難易度ではないだろうか?
もともと艦これは、シンプルな戦略ゲームという位置づけだったはずだ。
それが、システムに踊らされ、運営の思う通りに艦娘や装備を揃えるゲームになってはいないだろうか?
そして何より、時間がかかる。
イベントが開催されてから実際にマップに入るまで、情報収集・艦隊組成は元より、周回や遠征出撃などはすべて手動、戦闘フェイズのみ自動(ただし、マップ上で次のマスに進むのは手動)という伝統を守っている。
当然、ツールによるマクロはBAN対象だ。
しかも、今はアプリが実装され外出先でもプレイできるが、そもそもブラウザゲーであるため、当初は自宅のPCでしかプレイできなかった。
アプリもそこそこ重いため、ミドルレンジ以上のスマホでないと周回は厳しいし、しかもここ最近のシステムの複雑化により一回の戦闘時間が長引き、周回速度は落ちている。
そのため、プレイできる時間がどうしても限られてくるのだ。
それが何を意味するのかというと、要はこのゲームは周回がメイン要素なのにPCへの貼り付きが求められるのだ。
時間という限られたリソースの投入量と、ゲーム上での報酬のバランスが崩れ始めているのではないだろうか。
3.あまりにもな運ゲー
さて、私はここまで艦これが戦略や備蓄が重要な兵站ゲーであると述べてきた。
しかしそれは、数多くの確率という関門を通るための行為に他ならない。
艦娘や装備が揃っているほど、資源を貯めているほど、運営が用意したマップの最適解に近づけるほど、クリアやドロップの確率が上がるのだ。
逆に言えば、どれだけ良い物を揃えたとしても運が悪ければいい結果にならない。
特に限定ドロップ艦については、まさに確率による運でしかない。
これに関してはそういうゲームだし、他のゲームについても同じことなので当然といえば当然である。
そして、イベントの難易度を上げる=運の要素を高くする、ということになる。
何が言いたいかと言うと、ここ最近のイベントはその運要素が露骨であり、運要素を排除しようとすると画一的な艦隊になりがちだということだ。
まだ通常艦隊戦でクリティカルを食らうレベルであれば良い。
問題なのは、複雑化したシステムによって、プレイヤー側の確率を上げる幅が狭くなっていることだと考える。
正直、通常艦隊の殴り合いであればそんなこともなかった。
しかしここ最近では、艦娘の役割細分化によって艦隊の総合戦力よりも各艦娘における確率の比重が大きくなり、結果として艦隊そのものに影響する確率アップが見えにくくなった。
そして、少しでも確率を上げるために何をすべきかと言えば、攻略サイトのコピペである。
最適解と照らし合わせ、コピペ艦隊の細部を調整するのが最も効率的なのだ。
そして、調整すると言っても能力の近しい艦娘や装備を入れ替えるくらいで、戦略を変えることはできない。
例えば、水上打撃連合必須なルートに空母機動連合で行けないと様な。
プレイヤーはあくまでも運営が用意したフィルターにマッチする艦隊を準備し、あとは試行回数を重ねボタンをポチポチ手動で押すだけ。
そこに戦略性は存在しない。
考えていると言えるのは、イベント開催と共に突撃し人柱となる、ありがたいヘビーユーザーだけなのだ。
4.「短冊プルプル」
ここまでは、現在艦これのシステム的な点について述べてきた。
今度はゲームでも重要な「見た目」の話である。
「短冊プルプル」とは、いわゆる艦これアンチがよく口にする、艦これの戦闘画面を揶揄したスラングである。
実際にご覧頂こう。
なんとシンプルな戦闘画面だろうか。
各艦娘が短冊状で表示され、相手の艦娘に向かって攻撃が飛ぶ。
この短冊表示は特に動くこともなく、攻撃時に震えるだけだ。
一応、HPが削がれると服が破れた状態の立ち絵(一枚絵)が一瞬表示されるが。
一方、下が最近始めた「ラストオリジン」の戦闘画面だ。
ここにおよそ7年の歳月がある。
それを考慮すれば当たり前なのかも知れないが、実は艦これ、去年「2期」と称しゲームシステムの大幅な改修を行った。
内容は……解像度アップ、UIの微細な改修。FlashからHTML5への換装。以上。
ゲームシステム自体には何の手入れもなく、今まで通りの短冊プルプルから何も変わらなかった。
母港画面で艦娘が動く訳でもない。立ち絵は固定のまま、1期から何も変わらなかった。
正直言って、艦これほど巨大なコンテンツであるにも関わらず、新規参入(比較として提示したラストオリジンは、韓国版で1周年を迎えてはいるが)よりも格段にショボいと思わざるを得ない。
確かに、艦これはビジュアル面ではなくそのゲーム性やコンテンツが抱える艦艇へのこだわりから注目を浴びたゲームである。
事実、私も鋼鉄の咆哮や紺碧の艦隊などで下地があったとは言え、艦これのお陰で艦船、引いてはミリタリーには相当詳しくなった。
だからこその登録者数なのだろうし、もっとエロくしろだとか動かせとは言わない。
ただ、リアルイベントより先にやることがあるだろうと言いたいのだ。
私としては艦これも東方の様に長生きして貰いたいのだが、新規流入もアクティブユーザー数も減りつつある現実を直視して欲しいのだ。
確実に老いを重ねていく現状を見続けるのは辛い。
5.艦隊「これくしょん」
これに関しては他のゲームにも言えることだが。
ゲームが長く続くに連れ、ユーザーは次第にふるい落とされていく。
まさに今、私がふるいに掛けられているのだが。
まず先に言っておきたいのは、私はアンチではない。
むしろ、戦艦棲姫のフィギュアも持っているしイントレピッドのクリアファイルも買った。
加賀岬のCDもある。三越にも行った。
しかし恐らく、こんなチラ裏みたいなクソ記事にもいつかは批判が来るだろう。
良くも悪くも、艦これファンというのは熱狂的だと思う。
事実私もそうだった。SSを読み漁るくらいには。
艦これを批判するまとめサイトを見て腸が煮えくり返ったこともある。
だが――今、私にそれだけの情熱があるだろうか。
いや、ない。
なぜなら、私はほぼすべての艦娘を揃えてしまった。
「これくしょん」してしまったのだ。
今思うと、私の艦これに対する情熱は蒐集性だったのだ。
イベント突破も嬉しいが、やはり何より新しい艦がドロップした時、これに勝る喜びはなかったと思う。
そもそも私がこのゲームを始めた理由は、長門に会いたかったからだ。
課金して大型建造をブン回し長門を手に入れたくらいだ(非推奨)。
結局のところ、私の中でこのゲームに注ぎ込む情熱や時間と、蒐集性のバランスが取れなくなってしまったのだ。
まだ連合艦隊も基地航空隊もないイベントを、少ない手持ちと資源でああでもないこうでもないと試行錯誤しながらやっていた時期が一番楽しかったのだ。
今となっては、せこせこ貯めた資源をコピペ連合艦隊や基地航空隊・支援、あるいはイベントの合間に挟んでくるミニイベで溶かされ、何周したかを見て、運の悪さにイライラするだけ。
楽しさよりも苛立ちが勝る様になってしまった。
誰かが言っていた。艦これは盆栽の様なものだと。
確かに初期はそうだっただろう。しかし今は違うのだ。
それに何より、日本の大型艦はほとんど出尽くしてしまった。
海外艦も増えたが、大型艦ではネルソンが最後だっただろうか?
先にもあげたが、「居ても居なくても変わらないであろう艦娘」の比率が増えている気もする。
あともう一つあった。
イベントの終了日時が解らない上、イベント開催中に「友軍艦隊」を追加するからいつ取りかかれば良いのか判断し難くなったことだ。
これはサラリーマン提督なら理解できると思う。
先にあげた通り、このゲームはとにかく時間がかかる上、PC貼り付きが強要される。しかも「札要素」によって取り返しのつかない要素が増えた。
となると、平日外で働いているサラリーマンはしっかりとスケジュールを組み立て、ノルマの様にイベントを消化する必要があるのだ。
確かに、ビジネスモデルにおいてヘビーユーザーやリピーターを囲い込むことは当然の話である。
収益性の薄いユーザーには力を入れなくても良いのだ。
が、それを露骨に見えてくるのは良くない状態だと思うのだが。
6.艦これの未来は
艦これの未来は明るい。
と言いたいところだが、残念ながらそうとは言えない。
コンテンツ自体は供給がある限り終わることはないし、万が一サービス終了したとしても二次創作界隈は生き続けることだろう。
もはや艦これは東方・FGOに並ぶ巨大コンテンツなのだから。
しかし、サービス終了はつまるところ新規参入の途絶に他ならない。
あとは座して死を待つのみとなる。
また、例えサービスが何十年続いたとしても、だ。
実装する新規艦には限りがある。
既に日本の軽巡以上の艦艇は殆どが実装されてしまった。
海外艦を含めればまだ先は長いが、フレッチャー級をあと173隻も別々に実装できるのだろうか?
もし、当初の信念を歪め時代を大きく広げたとしても、例えば前弩級戦艦に役目はあるのか?
役目を与えるために新しいシステムを作るのか?
逆に、戦後の護衛艦を実装するか?
だとすれば恐らく広義にミサイルやCIWSも増やさないといけなくなるだろうが、それを天龍型や神風型に積むのか?
艦隊これくしょんはとうとう7年目を迎えた。
ブラウザゲームとしては異例の長寿であり、未だに唯一無二のゲームとして二次界隈に君臨していると言っても過言ではない。
だが、勢いは完全に衰えていると思う。
まとめサイトの記事や二次創作コンテンツの供給量は確実に減っているように見えるし、何より――イベントの解析速度が如実に落ちていると思われる。
これは当然ユーザー数の減少を意味しているだろう。
ゲームの寿命が長くなるに連れ、ユーザーも高齢化する。
2013年のサービス開始時に生まれた子供は、既に小学生だ。
18歳で始めた提督も、25歳になりおじさんに片足を突っ込んでいる。
私も三十路を迎え、他にやることも増えたし興味の対象も変わってきた。
艦これだけに時間を費やす訳にはいかなくなってしまったのだ。
最後に
私は艦これに5年を費やしてきた。
今でも好きだし、ここまで熱中したゲームは他にない。
今後も緩やかに続けて行こうとは思う。
正気に言って、こうして考えをまとめ若干の距離を置こうと思ったことで、強迫観念やプレッシャーから解放された気分にはなっているのは事実だ。
今の艦これは完全に袋小路に迷い込んでしまっていると思う。
枝葉末節ばかりに注力し、そもそものゲームシステムの問題点を放置し続けている現状は正直言って受け容れ難い。
艦これはもはや砂上の楼閣である。
長寿ゲームの宿命ではあるが、新規艦の追加や新システムの導入にリソースを費やすくらいなら、もっと見直さなければならない点があるのではないだろうか。
結局、言いたいことはそれだ。
そして最後に一つ。
恐らく記事内容に興味を持たれ、ここまで読んで頂いた方はこう思うだろう。
「嫌ならやめろ、文句を言うならやめれば良い、お気持ち表明するな」と。
まさにその通りだし、そう思うのは勝手だ。
しかし、艦これの提督を名乗る者がそれを口にしてはならない。
それを口にした瞬間、艦これというゲームは言論統制を是とし、決して批判を許さないユーザーを抱えているという証左になってしまう。
艦これは素晴らしいゲームでありコンテンツだが、神格化することは決して良い結果をもたらすとは限らない。
現状はまさにそれで、運営やゲームシステムに苦言を呈すること=アンチだとレッテルを貼り誹謗中傷することは、結果的に自身の首を締めていることに他ならないのだ。
これも艦これというコンテンツの大きさが招いた弊害だろう。
ミリタリージャンルとの結びつきが強いのもあるだろうか?そうは思いたくないが。
そんな人達と同じカテゴリーに分けられたくはないな。
ま、ラストオリジンやって皆でピョンテしよう。
確かにキャラはなかなかにアレだけど、やってみるとかなり戦略性が必要だし世界観も奥深い。
かの虚淵玄氏もツイートでSSを投下するくらいにはオススメ。
生まれたばかりの掲示板とも親和性高いみたいだし。
以上。
自己肯定感って必要?そんなことより他者肯定だ!
自己肯定感は高い方がいい!
自己肯定感が低い人は高めよう!
なぜなら自己肯定感が低い人間は仕事も恋愛もヘタクソだからだ!
あ、それ私のことですね。自分の欠点ばかりが気になる人。
人から嫌われることを恐れ、周りに合わせるばかりで自分がない人。
傷つけられたくないからこそ優しい人。
他人を尊重するあまり、自分を殺し過ぎて消極的な人。
その理由や原因は、家庭環境であったり、身体的特徴であったり、あるいは疾患であったり、人それぞれだと思います。
共通するのは、同じ境遇の人間でないと理解できない痛みを抱えている、ということでしょうか。
先に言いますと、自己肯定感なんてクソ喰らえです。
それは強者の理論であり、すべての人類が同じスタートラインに立っている前提での話ですね。
そりゃ高めた方がいいことに違いはありません。
だとしても、例えば何らかの疾患を持つ人間に対して「それはあなたの個性!自分を受け容れよう!自分を認めてあげよう!」と心身ともに健康な人間が言うのは単なる傲慢であり、エゴであり、マウンティング行為に他なりません。
あなたが気持ち良くなりたいだけでしょう。自己満足に利用しないで下さい。と言ってやりましょう。
この記事を読んで頂いている人、そしてこの意見に共感してくれる方の多くは、恐らく私なんかよりもっと大きな苦痛や困難を味わっていると思います。
そうでなくても、「人間は平等でない」という残酷な常識を理解するだけの視点を持っている方でしょうから、そう言い返すだけの権利はあると思いますよ。
だからこそ、そういった「恵まれている人」には解らないことを知っている。
自分の弱さを知っているからこそ、他人の弱さにも気付くことができる。
綺麗事にも説得力がある。それが魅力なんじゃないですか?
強い人間に惹かれるのは動物として当たり前です。
一方で、弱肉強食と一概に言えないのが人間であり、自己が弱い人間だからこそ、同じ様な弱い人間に寄り添うことができる。助け合いができる。
むしろ、寄り添うことに違和感がない。
弱い人を本当に救えるのは同じ経験をした弱い人、弱かった人です。
最初から強い人間が救えるのは表面上だけです。
何しろ私自身、弱っている誰かの救い―――救いと言うとおこがましいですが、誰かの弱った心を少しでも楽にできれば、と思って書いているのですから。
さて、先ほど私は自分の自己肯定感が低いと書きました。
主な要因はアレルギー性疾患からくるコンプレックスですかね。
ずばりアトピー性皮膚炎。
ここ最近ではアトピーに対する理解も若干ではありますが広まり、治療方法もわずかにではありますが光が見え始めている気がします。
それでも未だ不治の病であり、外見的に大きなデメリットを及ぼす病気だということは周知の事実です。
重病であれば命にも関わるし、何より対処療法しかなく、しかも決定的な治療薬がないという面倒なものです。
私の場合、酷い時は血液と浸出液が滲み出し、黄色いカサブタが全身にできるレベルです。
幸い入院するには至りませんが、Ige値を抑える薬と、ワセリン・ステロイドは片時も手放すことができません。
入浴時も、脱塩素しかつ低刺激なものでないとガビガビになります。
中学生の頃は毎日が浸出液との戦いで、当然イジメられもしました。
ぺっきー(ほっぺた汚い)と言われたりね。自分が触れたものは不潔扱いでした。
皮膚もボロボロで老け顔だし、いい笑い者でしたね。
事実、親に対して「何でこんな欠陥品に産んだんだ」と思っていました。
ま、他にも顔がデカイとか身体が太い(上から見るとほぼ正方形)とか喘息だとかADHDだとか色々あったのもありますが。
私の場合は確実に遺伝でしたからね。
叔母も弟もアトピーですし、祖父母も父も肌が弱かったので。
まぁこんなことを書くような性格ですから、自己肯定感なんてありません。
それを親友の一人から指摘されたことがあります。「卑屈だ」と。
ネガティブ思考、自虐ネタ、他人を笑わせるためにピエロ役を買って出るetc……
それはすべて、私が世の中を生き抜くために学んだと思い込んでいたスキルでした。
私は言いました。「持たざる者の悩みを知って欲しい」と。
その親友は男の私から見てもイケメンでしたし、学業優秀、スポーツ万能、高身長痩せ型、ホワイト企業に就職と人生順風満帆な男でした。
それに引き換え、ブラック企業に就職し、生まれてこの方彼女の一人もできたことがなく、アレルギー性疾患を抱え卑屈が染み付いた私。
それこそ、その親友こそ私のコンプレックスを刺激していたのかも知れません。
私は縋りました。「自分のいいところを教えてくれ」と。
すると返ってくるのはよくある言葉。
「優しい」だの「気遣いが凄い」だの「大人っぽい」だの。
それは自己肯定感が低い者にとっては悩みの種でしかありません。
自分の弱さ、人間としての小ささを守るがための優しさ。
本当はもっと強気に出たい。思い通りにことを運びたい。自信が欲しい。そんなの魅力でも何でもない。
もっと自分の本心を知って欲しい、認めて欲しい、褒めて欲しい。
自分を知って欲しい。
でも、その中に一つ、意外な言葉がありました。
それは「絶対に最初からNOと言わない」です。
他人に嫌われたくない、という一心が生み出した「まずは受け容れる」という姿勢。
心理カウンセリングでは「他者肯定感」と呼ばれるそうですね。
「自己肯定感」「自己否定感」「他者肯定感」「他者否定感」という4つの考え方は、人生の価値観において重要な構え方だそうです。
①I am OK. You are OK. (わたしも、あなたもよい)
②I am OK. You are not OK. (わたしはよいけど、あなたはダメ)
③I am not OK. You are OK. (わたしはダメで、あなたはよい)
④I am not OK. You are not OK. (わたしも、あなたもダメ)
上に行けば行くほどベターな状態で、下に行けばいわゆる「抑うつ」に近い状態になります。
私の場合、③ですね。自己肯定感が低くても、他者を肯定するタイプ。
まず、④に当てはまる方は他者という存在を認知するところから始めましょう。
別に褒めなくてもいいです。許さなくてもいいです。「そういう人もいるんだ」と否定しないところからでいいと思います。
事実、私も人間関係で嫌いな人や苦手な人はいます。別に受け容れる必要はありません。ただ、「そう思うんならどうぞご自由に」と否定しない。肯定も否定もしない。
ただ受け流すだけでいいんです。それが自分にとっても相手にとってもベターなんですから。
それで、私と同じ③に当てはまる人。
他者を肯定できる人。他者を受け容れられる人。
それって自然にできることじゃないんですよね。実は。
ここ最近、ネットで暴れる人たちが多いじゃないですか。
自分が正義だと信じ込んで他者を否定する②な人たち。
自分が気持ち良くなるために他者を傷つける人たち。
こういう人たちは根拠なき自信に満ち溢れています。
つまりは自己肯定感ですが、では果たしてそれが世のため人のためになっていますか?
ほら、自己肯定感が他者を傷つけているじゃないですか。
だから自己肯定感が100%いいモノなワケないんですよ。
自己肯定感に全力で傾いて他者を否定するくらいなら、まだ自己否定感に傾いた方が偉いと思いませんか?
言い換えてみれば、自己肯定感は欲望であり、自己否定感は理性です。
そして、人間社会において動物の弱肉強食と異なる点、それは理性が作用していることです。
だから、自己否定感は決して悪いものではないんですよ。
そして他者肯定。
別に弱い自分を守りたいだとか嫌われたくないだとか、そんな理由付けなんでどうでもいいんですよ。
だって相手には見えないんだから。
相手にとっては理由がどうであれ「自己肯定感を高めてくれる存在」なんですよ。
世のため人のためになってるんですよ。
それってあなたの価値じゃないですか?
自己否定感が強かろうが弱かろうが、他者を肯定し受容できること。
それは価値あることです。そしてその価値を持つあなたにも価値があるんです。
自己肯定感は高める物じゃありません。お互いに高め合うものです。
「自分の力でどうにかしました!」と言える人はそもそも自己肯定感が強い人なんじゃないですかね。
で、「他者を肯定しているけど一向に認めてもらえない」という人。
私がメンタルメタメタになっている時にやることですが、いわゆるネット掲示板やまとめブログに書き込むことです。
それも、他者を肯定する内容。
話題に乗っかって周りを肯定しちゃいましょう。
何なら自分と同意見の個人ブログでもヤフコメでもニコニコニュースでもいいです。
他者を肯定しまくりましょう。流れに乗らせてもらいましょう。
そうすると、いつかは自分に同意してくれるレスが付きます。
少なくとも嫌な気持ちにはなりませんよ。
とまぁここまでつらつらと書いてきた駄文ですが、これが誰かの救いになれば嬉しい限りです。
ひとつよろしくお願いします。
14年ぶりにブログを書いた。性格診断もしてみた。
1. 14年ぶりのブログ
実はブログを書くのは初めてではない。
高校生の頃、つまり2006年前後だろうか。学校でブログが流行り始めた。
当時から非モテだった私は当然こうしたネットコンテンツに惹かれ、「ハートで感じる保健体育」という正気の沙汰じゃないブログを開設した。
(念の為ググってみたが、どうやらネットの波に飲まれ消えていたのでホッとした。)
内容は今思い出すだけでも恥ずかしいから言わないが、メンヘラ記事や他人を馬鹿にするといった若気の至りに満ち満ちていた記憶がある。
そのお陰で何回か炎上した。中二病が完治していなかったのか、斜に構えるのが好きで自虐しつつイキってばかりだった様な気がする。
じゃあなぜ今更ブログを始めたのか。
実は本日2020年5月24日は、何の記念日でもない。
事実、今日は10時に起きて買い物と洗濯とソシャゲしかしていないのだ。
単なる思いつき、それ以外の何物でもない。暇潰しなんだと思う。
ただ、もともとアウトプットする行動自体は嫌いじゃない。むしろ好きな部類だと思う。それは昔から変わっていない。
ただ当時から成長したことと言えば、世間一般的な社会常識と建前、そしてネットリテラシー(死語)を覚えたことだろうか。
そもそも思考をアウトプットするという行為は良い結果をもたらすと考えている。
仕事や勉強でも、入ってきた情報をアウトプットすることで頭の中を整理することで、短期記憶から長期記憶に移りやすくなると聞いたことがある。気がする。
それに、千差万別の考え方に触れるのは決して悪いことではない。同感するもよし、批判するもよし、拡散するもよし。togetterとかね。
誰かの思考が誰かに影響を及ぼすこと、それは進化の中にある一つの要素なんじゃないのかなぁ。
とクサいことを言っては見たものの、結局は自己顕示欲だとか存在価値だとか、そういう類の欲求を満たしたいだけなのかも知れない。自己顕示欲の塊おじさんだから。
ただ、こうした自分の行動が世の中の誰かをポジティブな方向に動かすことになったら、それは喜び以外の何物でもない。
2. 自己紹介
当ブログのタイトル通り、私は独身三十路おじさんです。
今年2月にブラック企業の営業からIT産業に転職した一介の中堅サラリーマンです。
良くも悪くも超平均的なザ・サラリーマンだと自負しています。
趣味はキャンプ・車・ネット文化くらい?食べるのは好き。
小学校の時の夢はばすのうんてんしゅ。中学校の時の夢はラリードライバー。高校の時の夢は中流階級の父親になること。
高校で何があったんだ。
昔はアニメやマンガが好きだったが、今はそうでもない。
2000年代後半で知識が止まっている。俗に言う懐古厨という存在。
世代で言うとキノの旅とかハルヒとかかな。
人間性は……主観的なことをベラベラ喋るより、客観的なデータを用いたほうが良いでしょう。
適当にググって見つけた、
によると、
はっきりいって苦労性ですね。その名も「仕事一筋まじめ人間タイプ」です。どんなことでも嫌と言わず、またどんなことでも卒なくやってのけるある意味スーパーなお人といえます。仕事熱心で、「さぼる」という言葉はあなたの辞書にのっていません。気になるのは、少々頭でっかちな面があって、とっつきにくい印象を他人に与えている可能性があります。また、ちょっとストレスが溜まり気味ではないですか?人生山あり谷あり、うまくいかないときは「神様がくれたながーいお休み」と思ってちょっと肩の力を抜きましょう!!
だそうで。うーん辛口。
価値観
あなたの価値観
とても謙遜がお上手ですね。「自分に人並みの能力があるなんてそんなそんな」と思っています。生き馬の目を抜くが如き今の世の中で、自分の力を過信しないその姿勢は美徳とも言えるでしょう。ですが、謙遜しすぎて本当に自分には能力がないと思い込んでしまうこともあるので気をつけましょう。もっと未来に希望を持っても良いのではないですか?
データ
・自分には人並みの能力がある:そう思う計 42%【47%】
・自分の希望はいつか叶うと思う:そう思う計 15%【30%】生活
あなたの生活観
仕事に没頭しすぎているのか、料理にあまり関心がありません。作った料理を他人に褒めてもらっても、特にうれしいとも思いません。分業意識は低いので、結婚後はパートナーかあなた、とりあえずその時暇な人が料理をしようか、という雰囲気になるでしょう。パートナーが作ってくれた時は素直に褒めましょう。あなたは食事に関心が無くても、向こうは一生の楽しみにしているかもしれません。
データ
- 食意識
- ・食べることに幸せを感じる:そう思う計 58%【72%】
・作った料理を褒められるとうれしい:そう思う計 47%【55%】
・女性は結婚したら料理をつくらなければならないと思う:そう思う計 21%【30%】ストレス
あなたのストレス解消法
ストレスが溜まっても睡眠時間をたくさん取ったりたまに旅行に出かけたりするだけで、特に解消しようとはしません。なんと強いお方でしょう。それとも鈍感なだけ?
データ
- ストレス度(5段階)
- ストレスを感じる 36%【49%】- 非常に感じる 12%【16%】
- ストレス解消法BEST3
- 1.寝る 39%
2.特にストレス解消はしない 27%
3.旅行に行く 22%
仕事
あなたの職業意識
なんといっても「仕事一筋まじめ人間」ですから、仕事のない人生なんて想像できないでしょ。会社に対してとっても忠誠心が高いです。ただ本当はちょっと疲れていませんか?天職を見つけたいわけでもなく、出世したいわけでもなく、企業家になりたいわけでもない。でも自分には仕事しかない。そんなあなたを部下に持ったら上司はさぞかしありがたいでしょう。逆にもしあなたが上司の立場ならば、部下はちょっとしんどいかも・・上手にメリハリつけて気分転換してくださいね。
職業意識
- 仕事好意度(有職者ベース・5段階)
- 好き 19%【30%】- 非常に好き 8%【6%】
- 仕事意識
- ・自分の天職を見つけたい:そう思う計 47%【56%】
・サラリーマンより企業家になりたい:そう思う計 12%【23%】
・人よりも早く出世したい:そう思う計 12%【23%】
恋愛
あなたの恋愛観
恋愛に対してはわりと無頓着です。結構、恋愛は面倒くさいなんて思ってませんか?相手が切り出すのを待つ、というか面倒くさいから自分からは切り出さない?って感じかしら。相手の気持ちを考えた行動を心掛けるようにしてください。
真面目でクールなあなたは「熱い」人や異次元空間に生きる人と相性がよいようです。「思い込み一直線タイプ」とか「お気楽ナルシストタイプ」なんていかが?あなたの知らない世界を見せてくれるかも。
恋愛観
・恋愛経験は人よりも多い方だと思う:そう思う計 7%【13%】
・恋人や配偶者とはなるべく一緒にいたい:そう思う計 20%【41%】
・この世のどこかに自分と赤い糸で結ばれている人がいると思う:そう思う計 15%【24%】交友関係・ネットワーク
あなたの交友関係・ネットワーク
仕事以外のプライベートではあまり人と関わろうとしません。人間関係なんて必要以上にはひろげたくないと思っています。自分が相手に関わらないから相手にもあまり期待していません。ビジネス上ではそれでもうまくいくのかもしれませんが、プライベートでは「ちょっと冷たい人」と思われてしまいがち。たまには気の置けない友人たちと息抜きしましょうよ。
データ
- 友人関係意識
- ・人間関係をひろげたい:そう思う計 27%【42%】
・義理や人情を大切にしたい:そう思う計 50%【61%】
・他人同士でも助け合える人間関係をつくりたい:そう思う計 37%【52%】お金・消費
あなたの消費行動
プライベートにはあまり関心を示せないようです。消費は特に好きでもなく、欲しいものがあっても、わざわざお金を貯めてでも買おうという気なんてサラサラ起きません。でもあなたが頑張っているその仕事は、消費者がいるからこそ成り立っているんですよ!もっと自分も消費に参加してみましょう。
データ
- 消費意識・行動
- ・消費は「美徳」だと思う:そう思う計 4%【17%】
・欲しいものはお金を貯めてから買う:そう思う計 45%【54%】
・品数が揃っている店で買い物をしたい:そう思う計 40%【48%】芸能人・有名人ならこのタイプ
なるほどなるほど。かなり当たってるかも知れない。
確かに友人から「気遣いで自分を殺し過ぎて偏屈になってる」と言われたことがあった。昔に。
もしかしたらこうして文字に起こしているのも、日々溜め込んだものを吐き出しているのかも知れない。
なんだか話がバラついてきたので、今日はこのあたりで。